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「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」
かのゴダールは「好きな監督3人挙げて」
との質問にこう答えた。

溝口健二監督の日本的な特質を帯びた演出が、
世界中の映画作家に広く影響を与えていることは有名である。
溝口監督の映画からはヨーロッパ的なものは感じられない。
よその世界から影響を受けていない、
まさに日本人固有の表現。

「ただすすっと流しながら見ていけるような、
僕は絵巻物のような画をつくりたいんだ」
と、溝口監督はカメラマンの宮川一夫に語っていた。
彼にとってカメラの長回しという演出法は、
日本的な感性に根ざした表現方法だったのだろう。

溝口監督は撮影中セットから出て気分を乱したくないので、
愛用のしびんを持ってセットの中でトイレを済ませていた。
この逸話には彼の映画に対する姿勢が垣間見られる。
完全主義を貫いた画作り。
代名詞であるリアリズムも、彼の人間的な資質に基づいて、
自然にその表現がなされたのだと思う。

撮影現場で脚本は毎日変わっていった。
実際にリハーサルしてみると溝口監督のイメージと違う。
その度に彼と一蓮托生の脚本家・依田義賢(よだよしかた)は、
何度も呼び出されて直しをしたと述懐する。

今回はその依田義賢が溝口健二の代表作であると特に推す、
『西鶴一代女』と『浪華悲歌』を上映します。
溝口映画はドラマとして観ても、映像として観ても、
濃密な一つの美学を確立しています。
その本質はフィルムを通さないと分かりません。
ぜひ早稲田松竹で豊穣な時間を味わってみて下さい。

浪華悲歌

戦前の日本。社会的弱者であった女性たち。
『浪華悲歌』では従来のメロドラマ的女性映画の殻を打ち破り、
女性の精神の自立が描かれた。

主人公は大阪の製薬会社の電話交換手として働いている
アヤ子(山田五十鈴)。
勤め先で金を使い込んだ父を救うため、社長・麻居の妾となる。

ある日、麻居とアヤ子は人形浄瑠璃見物に行って
妻と出くわし、危うくその場を切り抜けるものの、
後日、友人である医者の勘違いから妻に知られることになる。

パトロンを失ったアヤ子だったが、麻居の友人・藤野から
金を巻き上げて兄の学費として送る一方、
交換手時代の恋人・西村との結婚の夢を追う。
ところが、西村をごろつきに仕立てて藤野を脅そう
として失敗し、留置所に入れられてしまう。

西村に裏切られたアヤ子は実家に帰るが、
彼女の金に支えられていたはずの家族は
誰もアヤ子を温かく迎えようとしない…。

溝口健二監督は『浪華悲歌』を撮る前、スランプに陥っていた。
どれも原作のある”明治物”とか”鏡花物”で、
自分の知らない世界を描くことに苦心していた。
『浪華悲歌』で自分が原作を引き受けたのは、
お金の問題のためと溝口監督自身は語っている。
しかしそれ以上に自らの原作で一から映画を創ることは、
スランプを打開するための、新たなる挑戦だったのだと思う。

溝口監督は東京浅草生まれ。
映画界に入りしばらくは東京で活動し、
その後関東大震災に遭い映画の撮影拠点を京都に移す。
そこで彼の中に、江戸と上方の血の交わりが起こる。

初めてコンビを組んだ脚本家・依田義賢が
京都出身であることも大きい。
主演女優・山田五十鈴も大阪出身で、
セリフに流暢な関西弁を使う試みが見事にはまった。
溝口監督は東京からの流れ者として、
浪華の風俗を客観的に見つめることができた。
そしてそのすばらしさを、彼の日本的情緒を通して、
うまく引き出すことができたのだと思う。

「一生女優を続けよう」
山田五十鈴がそう心に決めた映画。
ぜひ堪能してみて下さい。

溝口健二

・ふるさとの歌(1925)
・紙人形春の囁き(1926)
・藤原義江のふるさと(1930)
・瀧の白糸(1933)
・虞美人草(1935)
・マリヤのお雪(1935)
・折り鶴お千(1935)
・祇園の姉妹(1936)
・浪華悲歌(1936)
・愛怨峡(1937)
・あゝ故郷(1938)
・露営の歌(1938)
・残菊物語(1939)
・春小袖(1940)
・浪花女(1940)
・元禄忠臣蔵 前篇(1941)
・芸道一代男(1941)
・元禄忠臣蔵 後篇(1942)
・宮本武蔵(1944)
・団十郎三代(1944)
・必勝歌(1945)
・名刀美女丸(1945)
・歌麿をめぐる五人の女
・女性の勝利(1946)
・女優須磨子の恋(1947)
・夜の女たち(1948)
・わが恋は燃えぬ(1949)
・雪夫人絵図(1950)
・武蔵野夫人(1951)
・お遊さま(1951)
・西鶴一代女(1952)
・祇園囃子(1953)
・雨月物語(1953)
・噂の女(1954)
・山椒大夫(1954)
・近松物語(1954)
・新・平家物語(1955)
・楊貴妃(1955)
・祇園の姉妹(1956)
・赤線地帯(1956)
・大阪物語(1957)
・ある大阪の女(1962)

浪華悲歌
(1936年 日本 71分 SD/MONO)

2009年8月15日から8月21日まで上映 ■監督・原作 溝口健二
■脚色 依田義賢

■出演 山田五十鈴/志賀廼家弁慶/梅村蓉子/竹川誠一/大倉千代子/浅香新八郎/原健作/進藤英太郎/田村邦男/大久保清子/志村喬/滝沢静子

■1936年度キネマ旬報ベスト・テン第3位

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西鶴一代女

時は元禄。封建制度の下で自我を貫こうとした女がいた。  『西鶴一代女』はその女の悲劇的な流転の一生を描く。

「普通の乞食じゃない。
 普通の素人女が乞食になったんじゃない。
 乞食になっても女っぽさを忘れてはいけない。
 異常なものを出せ」

田中絹代は主人公・お春を演じるにあたり、 溝口健二監督にこう告げられたという。この過激とも言える言葉に、その端正な顔の裏に潜む溝口監督のもう一つの顔を、うかがい知ることができる。

pic奈良の荒れ寺で客にあぶれた娼婦たちが集まり、愚痴を言い合っている。その中に、厚化粧でも歳は隠せないお春(田中絹代)という女がいた。

その夜、巡礼帰りの百姓たちの前に引き出され、「こんな化け猫をおまえたちは買いたいのか」とさらし者になったお春は、我知らず羅漢堂に入っていく。羅漢堂に居並ぶ五百羅漢を眺めやるうちに、お春は羅漢像のひとつひとつが過去の男たちに見えてくるのだった。

門付からついには夜鷹まで。様々な男たちと出会い、別れていく度に不幸になっていくお春の、流転の生涯が遡って綴られていく。

溝口映画は女性を題材にした映画が多い。そして溝口監督自身も女性との間に数々の逸話を残している。溝口健二を敬愛する映画監督・新藤兼人は「(溝口監督は)田中さんを生涯の恋人だと思っていた」と語る。そして、下済みで苦労した女性が好みであったと。

pic溝口監督の女性の描き方は、彼の女性に対する願望の現れだったのではないだろうか。
描きたいものを描きたいように表現しようとする我を貫き通し、映画の中に自分の世界を投影させた。溝口監督は自分の心に忠実であるという点において、リアリストであったのだと思う。

特に『西鶴一代女』は女優・田中絹代に対する、愛の眼差しで撮られていた。
阿弥陀仏堂の羅漢像に昔の男の面影を見て、頬被りをゆっくり引きづりおろして回想を始めるお春の微笑み。そこには演技を越えた、本物の女の情念が宿っている。自らの欲望を美に結びつける狂気。それを悠久と体に流れる血で描き続けた映画作家・溝口健二。溝口監督の映画はいつでも背筋を正して観たくなる。

西鶴一代女
(1952年 日本 137分 SD/MONO)

pic 2009年8月15日から8月21日まで上映
■監督・構成 溝口健二
■原作 井原西鶴『好色一代女』
■脚本 依田義賢

■出演 田中絹代/三船敏郎/山根寿子/宇野重吉/菅井一郎/松浦築枝/進藤英太郎/大泉滉/清水将夫/加東大介/柳永二郎/沢村貞子

■1952年ヴェネツィア国際映画祭国際賞/1952年度キネマ旬報ベスト・テン第9位


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