許されざる者
UNFORGIVEN (1992年 アメリカ 131分)
pic 2008年5月3日から5月9日まで上映 ■監督・製作 クリント・イーストウッド
■脚本 デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ

■出演 クリント・イーストウッド/ジーン・ハックマン/モーガン・フリーマン/リチャード・ハリス/ジェームズ・ウールヴェット/ソウル・ルビネック

■1992年アカデミー賞作品賞・助演男優賞(ジーン・ハックマン)・監督賞受賞/1992年全米批評家協会賞作品賞・助演男優賞(ジーン・ハックマン)・監督賞・脚本賞受賞ほか

1880年、ワイオミング。カウボーイに懸けられた1,000ドルの懸賞金をもとめて国中から賞金稼ぎがやってくる。列車強盗や冷酷な殺人で、悪名を世間に轟かせたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)もその一人。待ち受ける保安官リトル・ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)。カウボーイへの復讐心に燃える娼婦たち。マニーに加勢する親友ネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)。夢と栄光を掴もうとする命知らずの若きガンマン、スコフィール・キッド(ジェームズ・ウールヴェット)。作家を連れて半ば英雄気取りの賞金稼ぎイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)。この街で、様々な人々の様々な感情が、時には憎悪、また時には憤怒となって衝突する。

クリント・イーストウッド。絶えず辛酸をなめながら、若い頃からの反骨精神に支えられ、独自の哲学と映画スタイルを築き続ける男。『許されざる者』は、62歳のイーストウッド36作目の出演にして16作目の監督作、そして10作目の西部劇。彼の映画人としてのキャリアと全生涯の思いを折り込んだ入魂の作品である。

まさしく決意の男である。例えば『硫黄島からの手紙』、『父親たちの星条旗』。作品の良し悪しは別として、第二次世界大戦における硫黄島での戦いをわざわざ日本側、アメリカ側の二本に分けて作品化した心意気。一本の中で問わず一本づつを見た観客の中で各々の答えを問う、という手段。これは映画が映画の中だけでは終わらず、観終わった人間の中でこそ生まれ、始まるものだという確信がなければできない。そしてもう一つ、イーストウッドは決して映画の中で《戦争はいけない》という直接的説明はしない。だが、映画を観終わった我々は《戦争はいけない》という想いを確信する。例えば彼が持つ答えを3だとする。

1+2 5-2 1×3 6÷2 、、、

様々な視点、やり方で自らの答えを導くからこそ生まれる説得力。そのストイックな姿勢にはどこか侍の姿を重ねてしまう。そんな決意の男、クリント・イーストウッドを体感するには今作『許されざる者』ほどうってつけの作品はないと思う。どうか主人公ウィリアム・マニー演じるクリント・イーストウッドを通じて、彼の揺るぎなく貫かれた意志を感じ取って欲しい。主演兼監督がこれほどハマる人物はそういない。その意味で、彼自身がまさに「映画」なのかもしれない。

男なら、人間なら、絶対に目を逸らしてはならない。HE IS MAN。

そして、『許されざる者』が年老いた無法者<アウトロー>のドラマだとすれば、永遠に老いない無法者がジェシー・ジェームズだ。



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ジェシー・ジェームズの暗殺
THE ASSASSINATION OF JESSE JAMES BY THE COWARD ROBERT FORD
(2007年 アメリカ 160分)
pic 2008年5月3日から5月9日まで上映 ■監督・脚本 アンドリュー・ドミニク
■製作 ブラッド・ピット/リドリー・スコット
■製作総指揮 トニー・スコット
■原作 ロン・ハンセン

■出演 ブラッド・ピット/ケイシー・アフレック/サム・シェパード/メアリー=ルイーズ・パーカー/ジェレミー・レナー/ポール・シュナイダー

■2007年ヴェネチア国際映画祭男優賞受賞(ブラッド・ピット)/2007年全米批評家協会賞助演男優賞受賞(ケイシー・アフレック)/2007年アカデミー賞撮影賞・助演男優賞ノミネート(ケイシー・アフレック)

■オフィシャルサイト http://wwws.warnerbros.co.jp/assassinationofjessejames/

合衆国史上もっとも有名な実在のアウトロー、ジェシー・ジェームズ。25件以上の強盗と17件もの殺人を犯した重罪人でありながら、民衆からは英雄とさえ称えられた男。その悲劇的な最期によって、ジェシー・ジェームズは今なお伝説の人物として語り継がれている。破格の懸賞金をかけられ、常に追われる身だった彼を最後に仕留めたのは、もっとも信頼すべき仲間。アメリカいち卑怯な男として人々に記憶されることになるその暗殺者は、誰よりも臆病で、誰よりもジェシーに憧れていた20歳の若者だった。

近年、歴史的人物を描いた映画が沢山撮られているが、その描き方はひと昔前とは大きく異なっているように思える。例えば英雄は英雄、殺人者は殺人者として描かれるのがひと昔前なら、近年の作品は英雄だろうが殺人者だろうが一人間として、強さだけでなく弱さも持ち合わせた明確な形のない存在として描かれているように思えるのだ。

今作で主演だけでなく製作も担当するブラッド・ピットは「これは西部劇というよりは心理ドラマなんだよ。ある暗殺と、それがもたらした結果を分析しているんだ」と語る。この言葉から読み取れるのは、この映画がただ歴史をなぞるためのものではなく、歴史の中で不当に埋もれてしまった人間性(真実)を掘り起こそうとする試みだったことだ。情報社会として成熟したかに見える現代においてさえ、我々はメディア・イメージに翻弄され、表面的な事実を知ることで満足しきっている感がある。それは決してメディアの責任だけではなく、真実というものがあまりに重すぎるがゆえ、我々がメディアというクッションを求めた結果なのかもしれない。だが、それでも我々は真実を正面から見つめない限り、本当の意味で歴史を消化したとはいえないし、本当の未来を迎えることもできないのだ。

憧れからはじまる崇拝が殺意へと変わる時…かつてジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンも同じく頭に浮かぶが、この他人事は決して無視できるものではない。他の人間の事ではありつつ、同じ人間の事なのだから。

ロバート・フォードの裸の魂を見たあなたは、心の中でジェシー・ジェームズ暗殺を止めることができるだろうか、そして気付く、ぼくだってあなただって彼を殺したかもしれないと、、、


今週の二本は、ジャンルで言えば「西部劇」と言えるが、かつての西部劇が持っていた、
ともすれば陥りがちなセンチメンタルな郷愁など一切存在しない。
誰が善玉で誰が悪玉であるということが、単純明快であるような勧善懲悪の図式なども微塵もない。
登場人物は皆それぞれに理不尽であり、不寛容である。

だからと言って、『許されざる者』も『ジェシー・ジェームズの暗殺』も、
単なる“異色ウェスタン”の一言で片づけることはできない。
この二本は、戯画化された画一的な人間でなく、現代を生きる我々と等身大の
生身の人間が描かれている、西部劇というワクをこえた優れた人間ドラマなのである。
あらゆる意味でモニュメントとなり、後世に語り継がれる傑作たちだ。

(アセイ)


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