日本にこんな映画があったのか!?

長谷川和彦 1946年1月5日生まれ。1968年、今村プロに入社。日活の契約助監督となり、数々の作品の助監督、シナリオを担当。その後、フリーとなり、1976年『青春の殺人者』で監督デビュー。形容しがたいパワーに満ち溢れた本作で、その年の映画賞を総なめにした。1979年、2作目となる『太陽を盗んだ男』を発表。斬新なストーリー、力強い演出で、日本映画とは思えぬ世界を構築し、熱狂的な支持者が生まれる…。

これだけである。

以後、プロデュースや俳優として映画に出演したことはあったが、監督としての活動はこれだけある。新作準備中の話はいくつかあったが、どれもいまだに完成にこぎつけていない。たった2本の作品しか発表していないのに(していないから?)彼の存在は伝説となった。

何故?

彼の作品を観たことのある者の、昔は良かったという懐古主義?物珍しいものを観たという自慢?

否!

その答えは、2本の監督作品に刻まれている。さぁ、目を見張れ。

青春の殺人者
(1976年 日本 116分)
2007年10月6日から10月12日まで上映

■監督 長谷川和彦 
■脚本 田村孟 
■製作 今村昌平・大塚和

■出演 水谷豊/原田美枝子/内田良平/市原悦子/白川和子/ 江藤潤/桃井かおり/地井武男

★本編はカラーです。


中上健次の短編小説「蛇淫」を映画化した、衝撃のデビュー作。両親に溺愛されてきた青年・順。ある日、恋人と別れるよう迫られた順は、両親を刺し殺してしまう。音を立てて崩れ落ちていく自分の未来…。

日常が非日常へと切り替わる瞬間を、丁寧かつ大胆に描ききった問題作。リアルな会話、残酷な殺害シーン、それら全てが痛い。胸がヒリヒリと痛い。何故痛むのか。それはこの作品のテーマが今でも通用するから。30年以上も前の作品なのに、このフィルムには今の日本(世界)が焼き付けられている。大胆さだけじゃない、長谷川和彦の持つナイーブさにハッとさせられる青春映画の金字塔。

このページのトップへ

太陽を盗んだ男
(1979年 日本 147分)
pic 2007年10月6日から10月12日まで上映

■監督・脚本 長谷川和彦
■原案・脚本 レナード・シュレイダー

■制作進行 黒沢清
■助監督 相米慎二/榎戸耕史

■出演 沢田研二/菅原文太/池上季実子/北村和夫/風間杜夫/水谷豊/西田敏行

★本編はカラーです。


しがない中学教師 城戸。彼は原発からプルトニウムを盗み出し、自宅で原爆を作り上げる。政府を相手に、「テレビの野球中継の時間を延長しろ」「外務省の力でローリングストーンズを来日させろ(当時、ストーンズは麻薬所持により来日できなかった)」といった要求を繰り返す城戸。はたして彼は何故、原爆をつくったのか?

この作品の魅力は、なんといってもその日本映画離れしたバイタリティ。物語の破綻に対する遠慮なんか一切無し。文句があるならかかって来い、という喧嘩上等な心意気。そのがむしゃらっぷりがむしろ気持ちいい。日本にもこんな映画があったのだ。唯一無二、正真正銘、日本が世界に誇れる大傑作。

『太陽を盗んだ男』から28年。年号は平成となり、21世紀となった。今一度、この時代に彼の作品が観たい。できることなら新作が。そしてその新作を観た後、心からこう叫びたい。「日本にこんな映画があったのか!」

新作に関してはまだ具体的な進捗状況が聴こえてこないが、彼の重すぎる腰が上がるまで我々映画ファンにできることは、新作の完成を祈りながら、残された2本の子供たちに心臓を鷲掴みにされることのみ。いまだにその握力は強力であるし、これからもその力は衰えることなどないだろう。

是非スクリーンで、「感じて欲しい」2本。
ビバ!生ける伝説、長谷川和彦。
新作誕生を心から(心から!)祈りつつ。

(オサム)




このページのトップへ