LIVE FOREVER リヴ・フォーエヴァー
LIVE FOREVER
(2002年 イギリス 82分)
2007年11月10日から11月16日まで上映 ■監督・脚本 ジョン・ダウアー

■出演 ノエル・ギャラガー(オアシス)/リアム・ギャラガー(オアシス)/デイモン・アルバーン(ブラー)/ジャーヴィス・コッカー(パルプ)/ケヴィン・カミングズ/トビー・ヤング

20代の中頃から、自分の年齢を意識しなくなった。かつて、18歳の誕生日を前にしたとき、私は「17歳と18歳は何かが違う」と本気で思っていて、誕生日を迎えるのがとても嫌だった。20歳の誕生日の前なんか、「どうしよう!十代が終っちゃう!」とか思ってた。それなのに今なんて、自分が何歳だったかも時々忘れてしまってる。自分の年齢が記入された定期券を目にするたびに「私ってもうこんな年なのか〜」と人ごとのように驚いているぐらいだ。

月日が経つのは早すぎる。自分がリアルタイムで聴いていた音楽が、いや、つい最近終ったと思っていた90年代が、もう過去の遺物として、こうやって振り返るドキュメンタリーになるなんて…。ともあれ、この『LIVE FOREVER』、自分を含むアラウンドサーティの方には懐かしいこと必須!です。ブリットポップに興味がないという方でも、イギリスの一文化史として楽しめるはず。『トレインスポッティング』の時代のイギリスがいかにエキサイティングだったか、まだ覚えている方も多いのではないでしょうか。

一体、あの熱狂はなんだったのか?ダミアン・ハースト、ジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーン等、ブリットポップ以外にも、あらゆるカルチャーシーンで英国発のスターが世界を魅了していた。政界では1995年5月、サッチャー政権のあと11年ぶりに労働党が政権を取り戻し、史上最年少のトニー・ブレアが政権を握る。このリンクは偶然ではなかった。当時の政治・経済・文化、あらゆるものが、互いに強い影響を与え合いながら繋がっていたことが、この作品を観るととてもよく解る。

まあ社会的な難しいことはさておいても、単純にブリットポップ全盛期にしのぎを削ったオアシスとブラーが、本音で当時を振り返っていることだけでたまらなく面白い。「BEAT UK」をリアルタイムで見てた、というか、録画してまで見ていた自分からすると、デーモン・アルバーン(ブラー/写真←)の老け込んだルックスを見るだけで、時の流れ、一時代の終焉を感じずにいられない。

確かに時間が経った今、冷静に思い返せば、ブリットポップ以前のマッドチェスターやグランジのような、革新的なスタイルや共通したサウンドがブリットポップには無かった。あるのはアメリカ文化への対抗意識。ブリットポップとは、結局イギリスの自国文化に対して誇りを持とうというアティチュードだったのだ。ブリットポップは煙のように一瞬の栄光だった。しかし一瞬だからこそ、そのきらめきは鮮やかに記憶に留まり続ける。

それにしても、聴覚で呼び覚まされる記憶はいつだって鮮明だ。劇中の音楽が、当時の思い出や自分がしていたこと、感じていたこと、考えていたことまで一瞬にして甦らせる。ほんとにこの映画、懐かしさのあまり観ながら「うわー!」って何度思ったことだろう。まさに、「90年代」という時代のサウンドトラック。

結局、ブリットポップは何を遺したのか?何も遺さなかったのかもしれない。当時を知るミュージシャンは、口を揃えて「ブリットポップはクソだった」と証言する。実際、ポップすぎる、脳天気なサウンドは、今聞き返すとなんだか身体の一部がうず痒いような気持ちにさせられるけど、でもそれと同時に、個々の楽曲は間違いなく良い曲ばかりだったこともよくわかる。だって、観終わった後にはサントラを買わずにはいられなかったもの。

★余談ですが、当館で9月に上映した『クィーン』も、ブレアが首相となった頃を舞台とした話でしたが、この『LIVE FOREVER』が描いているのもちょうどその頃です。 『クィーン』では、ブレアって国民のヒーロー的に描かれていたように思えますが、実際当時の英国民がどのように思っていたかは、こちらを見たほうが歴然!と解ります。『クィーン』を見たお客様、観比べるのも一興です。

(mana)



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スクリーミング・マスターピース
SCREAMING MASTERPIECE
(2005年 アイスランド 87分)
pic 2007年11月10日から11月16日まで上映 ■監督・脚本・製作 アリ・アレクサンダー/イルギス・マグヌッソン
■出演 ビョーク/シガー・ロス/ムーム/カラシ

■オフィシャル・サイト http://www.screamingmasterpiece.jp/

繊細な舌を持つ料理人は、天然の水を一口飲むと、その水の流れていた源泉を抱く土壌の土の味も感じとることが出来ると、あるTV番組で見たことがある。

高校生の頃、カセットテープのウォークマンで、ビョークの歌をほとんど毎日聴いていた時期があった。小柄でエキセントリックな容貌からは想像できない、鼓膜を殴るようなパワフルな歌声は、何度聴いても土の匂いがした。録音する過程で、あらゆる電子楽器や機械の加工を経ても、かき消すことのできない、肥沃で豊潤な土の匂いが。

ビョークが生まれ育った国、アイスランド。北極圏をまたぐ緯度にぽつんと浮かぶ、四国と北海道を足したくらいの面積の島国は、地表の約10%を氷河に覆われている。そして、アイスランドは世界で火山活動が最も活発な国のひとつ。その恩恵は、利用されているだけでも900の温泉源泉と、国内の電力を全て、水力発電と地熱発電で賄えるほどの、凄まじいエネルギーを人々にもたらしている。

氷河と火山。相反する自然を抱えた国には、音楽がひしめいている。人口30万人の島国に、音楽学校が90校、合唱団員6,000人、交響楽団と軍楽隊は400団体。人口に対して、音楽に携わる人々の割合が大きすぎることが、どれだけ不自然で自然なことか、この映画を観たらきっとわかるだろう。『スクリーミング・マスターピース』は、単なる辺境の国のミュージシャン達を記録した映画ではない。

映画の冒頭は、聖歌のような歌と共に、フィヨルドのダイナミックな空撮で始まる。巨大な恐竜の背骨を、空飛ぶ鳥の目線でなぞるように、フィヨルドの稜線がどこまでも広がる。鷲のように、威風堂々と寒空を飛び交うカラスは、アイスランドのシンボル。人間の力なんかじゃどうにもできない、アイスランドの自然の景色が、様々なミュージシャン達のライブ映像に交錯する。

ビョーク、シガー・ロス、ムーム、ムーギソン、ミヌス、ヨハン・ヨハンソン…。今、世界的に注目されているミュージシャンから、インディーズミュージシャンまで、どのミュージシャン達も独特なスタイルを持っている。中にはライブ、と言うよりもパフォーマンスに近いような演奏をするミュージシャンも居る。寝そべるような姿勢で楽器を演奏したり、人間の背中をドラム代わりに手で叩きまくったり。この映画が取り上げている全てのミュージシャンに共通して言えるのは、どいつもこいつも熱い。そしてめちゃくちゃ野暮ったい。テクノもヘビメタも、ロックも、まるで憶えたての遊びを反芻する子供みたいに、無邪気で真剣で、毒気がない。アイスランディック。音楽を武器にした、バイキングの末裔達。今からおよそ11世紀前に、氷の島に降り立った、野蛮な海賊とされる先祖のことを、誇らしげに語る人も居ないけど、後ろ向きに隠そうとする人も居ない。彼らと確かに繋がっていることを、当たり前のように受け入れている。それはこれからもきっと、洗練されることはない証だろうと思わせるその姿に、情けないほど共鳴するのは、私の中を確実に流れている土着の血だ。座席に預けた体が、じわじわと熱を帯びてくるのがわかった。スクリーンに、自分の体を巡る血の色が、匂いが、味が、映し出されているみたいに見えた。

(猪凡)




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