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甘く切ないノスタルジー、我々の想像を(いまだに!)凌駕するイマジネーション、映像の魔術師と言われたフェリーニの作品を語る際、このような常套句が頻発するが、その根本にあるのは優しさ、特に階層ヒエラルキーの底辺にいる民衆達への優しさであると思う。これは今回上映となる二本には特に顕著に表れている。だがそれは決して甘ったるい感情ではなく、常に厳しさを持って描かれる。時には暴力、時には別れ…。目を背けたくなることも全て飲み込んだ上で、フェリーニは伝えているように見える。生きることの素晴らしさを。そして映画の素晴らしさを。


今回上映となるのは、大道芸人ザンパノと少し頭の弱い女ジェルソミーナのロードムービー『道』('54)と、夜の女カビリアの死にたい程の辛さを描いた『カビリアの夜』('57)の二本。監督フェデリコ・フェリーニ、主演ジュリエッタ・マシーナ、音楽ニーノ・ロータという映画史に燦然と輝く黄金比が生み出した傑作。両作とも女性を主人公に、観る者の胸をエグる、切ない、あまりにも切ないラストが待っているわけだが、フェリーニが言いたかったのはその後。ENDマークの後、彼ら登場人物はどうなったのかではないだろうか。その答えは映画を観れば一目瞭然。一人残されたザンパノ、そしてカビリア。この二本のラストシーンからは、彼らの明日が垣間見える。彼らのささやかな笑顔が想像できる。そこに我々観衆は胸を打たれ涙する。そう、フェリーニの映画は終わらない。なぜなら映画の中で人が生きているから。何よりフェリーニが彼らを愛しているのが見て取れるから。「この世に役に立たないものなんてひとつもない。この石ころだって何かの役に立っている。」『道』の中の台詞が全てを物語っている。


よく難解であると思われがちなフェリーニ作品。だがそれは「魔術師フェリーニ」と呼ばれる所以のひとつとなった『81/2』('63)あたりから。と言っても、これらの幻想的とも言える作品も、素直にストーリーを追っていけば問題無いのだが。とりあえず今回上映の二本はそれ以前。彼の作品の中でも特にストレートに観客の心を揺さぶる作品であろう。「映画は理論からは生まれない」ごもっとも。

だから観る方にも理屈なんていらない。いい台詞があって、笑えて泣けて…。映画館を出るときに、「あぁ、いい映画だったなぁ。」これでいい。そもそも映画とはそういうものだったんだ、とこの二作は思い出させてくれるはず。映画、演劇、文学、音楽…。ジャンルを問わず、いつの時代にも普遍のメッセージで溢れている作品。それを名作と呼ぶのであれば、文句無し名作中の名作。

道

LA STRADA
(1954年 イタリア 115分)
2006年4月8日から4月14日まで上映

■監督・脚本 フェデリコ・フェリーニ
■音楽 ニーノ・ロータ
■出演 アンソニー・クイン / ジュリエッタ・マシーナ / リチャード・ベースハート

大道芸人と、奴隷として買われた女の町から町への浮浪生活。いつ終わるとも知れない二人旅は、突然終局を迎える…。フェリーニが世界に名を馳せるきっかけとなった作品でもある。

この作品、本国イタリアでは賛否両論を巻き起こしたという。だが世界各国で公開されるにつれ、観客に大きな感銘を残し、数々の賞に輝き、後にアカデミー外国語映画賞も受賞した。ニーノ・ロータによる「ジェルソミーナ」は映画史上に残る名曲である。

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道

LA NOTTI DI CABIRIA
(1957年 イタリア 111分)
2006年4月8日から4月14日まで上映

■監督・脚本 フェデリコ・フェリーニ
■脚本助手 ピエル・パオロ・パゾリーニ
■音楽 ニーノ・ロータ
■出演 ジュリエッタ・マシーナ / フランソワ・ペリエ / アメデオ・ナザーリ

傑作『道』から、隠れた佳作『崖』を挟んで制作された、心優しい売春婦の出会いそして別れを通して、生きるということを問いただした感動作。特筆すべきはカビリア役ジュリエッタ・マシーナの演技であろう。『道』のジェルソミーナと同じ人とは思えない程美しい。彼女もまた映画の中でその役を生きている。観終わった後、誰もが彼女に恋してしまうだろう。『道』に続きアカデミー外国語映画賞を受賞。

93年にフェリーニが亡くなって13年。「私が映画だ!」と言った彼と共に映画は死んだのか?
否、ここにカビリアがいるじゃないか。ここに道があるじゃないか!

この『道』は映画への道。

名実共に20世紀最高の映画監督。
フェデリコ・フェリーニ。
あなたは映画だ!!

(text: オサム)


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