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●→榎戸耕史監督●→松崎健夫さん

まず、ぼくの思い出から話させていただきますと、このあと上映される『瀬戸内少年野球団』が撮影されたのが淡路島で、ぼくはその頃兵庫県明石の海の向こうに淡路島が見えるところに住んでいたんですが、学校で、「いまあそこに夏目雅子おるらしいで!」って噂が広まって(笑) ニュースとかで撮影現場のことを取り上げていたんですが、夏目さんが子役たちと一緒に風呂に入ったって喋ってるのを聞いて「えぇぇー!!」って思ったりしました。ロケ地に溶け込むことで雰囲気をつくっていったようなエピソードだと思うんですけど、榎戸さんが参加された『魚影の群れ』の時はそういう事ってあったんですか?

(青森県)大間で撮影するっていうことで、いわゆる南部弁っていう特殊な方言を覚えなきゃいけないんです。当然夏目さんには先にテープをお渡ししたんですが、基本的にはイントネーションも含めて、土地の方と接触して。方言スタッフの方の家によく通ってご飯を食べたりして、一生懸命溶け込もうとしてましたね。

父親役の緒方さんは船の操縦があるんで1ヶ月前に現場に入ってるんです。ぼくらが実際に現地でお会いするころには、もう漁師の方になってたんですよ(笑) だから、夏目さんもやっぱり父娘という関係のなかで、緒方さんに迷惑かけられないって、早く土地の人間としての形を自分のなかで持たないといけないと思ったでしょうね。

聞いたところによると、これを撮っている時に『瀬戸内少年野球団』とNHKの大河ドラマ、3つの現場を同時に持っていたらしいですね。すごいですね(笑)

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『魚影の群れ』は監督が相米慎二さんで、榎戸さんはよく助監督されてるので苦労がいっぱいあるかと思うんですが(笑) 有名な最初の自転車で坂を下りてくるシーンは、あれ何回かやったんですか? あんまり何回もやったようには見えないのがすごい不思議なんですけど。

これはたぶん相米さんの映画の特徴なんですけど、薬師丸ひろ子さんから皆さんおっしゃることはひとつで、「登場人物にそのまんまになるまでやらせられるから、何も考えなくなるんです」と。だから役者さんは自分がさらけ出されているようで恥ずかしいっていいます。撮り終わったあとには見たくないって(笑)

相米さんがワンシーンワンカットで回すっていうのは多分ご存知ですよね。初日の海辺のファーストシーンのあと、大間に入って最初に撮ったのが、緒方さんと二人でお酒を飲みながら夕飯を食べるシーンなんですけど。あのシーンも朝8時から始まって終わったのが17時くらい。ずうっと同じ芝居をやるわけです。最初は夏目さんも相米さんのやり方になかなかついていけなくて、どうしたらいいんだろうって思っていたと思います。

でも夏目さんは、このやり方でいいんだと掴んだ時の速さはすごかったです。今日(『魚影の群れ』を)観ていて思ったんですけど、最初の頃のありようと、後半になっていくとどんどん違っていくんですよね。特に、和歌山から帰ってきたあたりからはまったく違う人物になっていく。大間の猟師の嫁になったというのが出てるんです。

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大間の港で緒方さんと再会するシーンがありますよね。あのシーン、(佐藤)浩市さんがすごいいい芝居をしてたんですよ。でも浩市さんの側からは撮らなくて映ってないんです。撮影が終わって相米さんに「なんで浩市さんを撮らなかったのか」と聞いたら「いやぁ・・・夏目の腰がな・・・」って(笑) あのシーンで彼女、腰を振るんですよ。相米さんは「これでいい。あとは要らん」と。そういうことが多々ありましたね。

夏目さんの腰といえば、『時代屋の女房』のときに逆立ちするシーンを思い出します。夏目さんの体のラインのなかで、やっぱり腰って魅力的なものがあるんですかね(笑)

最初の海辺で砂山をのぼっていく時の腰の感じ、それから小屋に入る前に浩市さんをきゅっとひねって見るシーン、ああいうのみんななんとなく“うしろ”っぽいんですよ。あの芝居、けっこうちゃんとやってるんですよ。うしろの姿多いんですよね。

海見ている時もバックショットですよね。

意識してたのかもしれないです。ある意味で男を誘うっていうんですかね、そういうのが彼女の中で本能的にあったのかも。それは(田中)陽造さんの脚本のなかでも、「わたしはお母さんに似てるんだ」って最初の方の台詞からつながって、母の十朱(美千代)さんが出てきて「トキ子はあたしの血をひいてる」って言うので。なるほどちゃんと役者さんも呼応してるなぁって。

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今の話で思ったのは、夏目さんって華やかで美人だけど、それだけじゃなくって、人生の憂いみたいなのを感じるところがありますよね。『魚影の群れ』の母娘の対比もそうだし、『鬼龍院花子の生涯』も「なめたらいかんぜよ!」ってあの夏目さんの台詞、実は冒頭で育ての親の岩下志麻さんが同じ台詞を言っていて。それを踏襲するっていうか、本当はそういうことを忌み嫌ってたかもしれないけども、女ってそうなってしまうみたいな。『時代屋の女房』で演じたものもそうだったと思うんです。本来、夏目さんっていわゆるお嬢様のはずなのに、そうゆうのが出るのって、現場でも一瞬悲しい感じを見せたりしたことってあったんですか?

いや〜あんまりないですね。まぁ実際はそういうのあるんでしょうけど。こんなエピソードがあって、最初の頃相米さんの演出に慣れなかったり、緒方さんはもう出来上がっているし、大間の女になんなきゃっていう焦りだったりで、夏目さん円形脱毛症になっちゃって。ただ、それを「禿げた禿げた!」ってみんなに言って周ったような人なんですよ(笑) だからぼくらも正直最初のうちは、都会のお嬢さんが漁師の娘をできるのかなぁって思ってました。でも、勘もいいし本能的な芝居の掴み方ができる人でしたね。

浩市さんが海に出て帰って来なくで夏目さんがずっと待ってる最後のシーンは、あの階段上がってくるところから(夏目さんの芝居が)できあがってたんですよ。もうね、僕も長いこと相米さんの現場に就いてたんですけど、毎日毎日何十回もテストするあの彼が「早く撮らせろ」って言ったのはあのシーンだけです。“見つかった”っていう無線が入った時の、うしろ姿で、なんの反応もしないでこうスッと座ってるのなんか、ちょっとゾクっとするくらい・・・。素晴らしい女優さんだったんだなぁと、つくづく思いました。

表情だけじゃなくて、身体でも表現してるってことと、映画館で映画を観ることっていうか、スクリーンを意識していたんじゃないかと。“佇まいで魅せる”っていうのを感じました。

夏目さんが亡くなった時の年齢が27歳ですよね。なんだか同じ27歳でも、今活躍されている女優さんと印象が全然違うなって思うんです。よく夏目さんは、“最後の女優”だとかっていう表現をされているんですが、やっぱりスクリーンを意識して演技してるんじゃないかと凄く感じて。偶像を自分で創りだすとか、スターがスターじゃなきゃいけない時代と、個人的な情報をツイッターとかSNSで発信しなきゃいけない今の時代とで変わってきてるから見え方が違うのかなぁと。

時代的なことをいえば、早稲田松竹で今回上映した4本っていうのは、丁度80年代くらいの映画ですよね。だから80年代初頭の時代性みたいなものは、彼女も感じてたんだと思う。ただ、この人が今の映画をものすごく意識してたかっていうと、僕はそんな風には思わないんですよ。逆にそこが彼女の凄さだったような気がするんです。あんまりそういうこと意識して演技をするっていう人じゃなくて、本当にポテンシャルの高さだけでできた人で。

今回上映した映画って、五社さん、森アさん、相米さん、篠田さんと、映画の形が全然違う人4人が演出に当たっている。でもそれも、彼女のその直感というかポテンシャルでもって、それぞれいい演技ができているんじゃかな。

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夏目さんには関係ないんですけどお聞きしたいと思ったのは、『魚影の群れ』って公開が1983年の10月末なんだけれども、実はその年の今頃(9月初め)まで、まだ撮影されてたんですよね・・・。

えぇ、マグロを追っかけて、8月いっぱいくらいまでずっと海に出てたんです。津軽海峡を渡るマグロって、本当にある時期しか回遊していかないんですよね。だから最後はもう大間では撮れないってなって、北海道にまで行ったんです。

船のシーンってやっぱり凄いと思うんですよ。佐藤さんと緒形さんが乗ってる船を別のカメラで引きで撮っているカットを見たりすると、小っちゃいじゃないですか。あの船の上にはそんなに沢山スタッフは乗れないですよね。

マグロを捕っている第三登喜丸と浩市さんの乗ってる第一登喜丸、もうひとつキャメラ船っていう倍ぐらいの船があったんですよ。その中から、クレーンを釣り出して撮ったんです。しかも単純にクレーンだけだと怖いんで、鳥かごのような鉄のかごを作って、それをぶら下げたんです。その中にキャメラマンが乗ってたんです。

かごの中に!

それはたぶん、写真が残ってると思います。だからキャメラマンは、クレーンから釣り出した鉄のかごにフォーカスマンと二人で乗ってるんです。

わざわざ助手もつけてるんですね。

助手も乗らないとフォーカスまでとてもやれないので。波が凄いんですよ、津軽海峡は。だからすっごい怖かったですよ。こんなこと言うのはあれなんですけど、3回ぐらい死にかけました(笑)

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船のシーンで、海に出る前からカメラを回していてそのまま撮りながら海に出ていく時に、夏目さんだけ港におきっぱなしになってますよね。あれ、スタッフは周りにいないのに、カットかかったかどうかって、誰が教えてあげるんですか?

当然何度もやる中で夏目さんもキャメラの動きが分かっているので、良く観ると、夏目さんも動いてるんですよね。船と一緒に、左に左に。

写るように、カメラの位置に入るように、船の位置を見ながら、実は夏目さん自体も動いてる。それはすごいですね。

夏目さんも「お前、ちゃんとカメラ見てろ!」と相米さんに言われてるので、ちゃんと芝居してますよ。

なるほど。長回しが難しいっていうのは、そういう所だと思うんですけど、最初のシーンを観てると、とにかく砂場で足場しか写ってないところがあったり、カメラの位置が50メートルも離れていて本人は写ってるかどうかもわからないはずなのに、こうすれば、彼女が佐藤さんのことを愛してるんだってことがわかるんじゃないかという芝居を意図的にやってるんじゃないかと思いました。

夏目さんが「海好きだか?」って浩市さんに聞くんですけど、普通だったら直接浩市さんに言いますよね。だけど、海の方を向いて言ってるんでよね。ああいう芝居って、たぶんやれって言ってもなかなかできないと思うんです。あれは夏目さんが自分の中で発見したことなんですよね。だから、映画の最後に浩市さんが亡くなって、「わかんねえじゃわかんねえじゃ」って言って、歌を歌うのも、夏目さんが考えたことなんですよ。この歌が、大間に生きる人間たちの想いをあらわしてる歌なんだって、分かった上で歌ってますよ。それはもう、感覚でしかないと思うんですよ。

『魚影の群れ』を今回観直して思ったのは、緒形さんの芝居っていうのは、基本的にマグロありきの芝居なんですよね、浩市くんもそうなんですけど。マグロと格闘するって、ある意味では「白鯨」ですよ。だけどこれに対抗するために、あの母娘がいるんですよ。北海道での十朱さんの凄まじい芝居と、夏目さんの対抗する芝居がないと、たぶん男たちのドラマも生きてこないんですよ。

本来だと母娘のパートがなくても話は成立するんだけど、あれがあるから緒形さんと佐藤さんの関係のドラマも生えるっていうことですね。

単純にマグロの話だけじゃなくって、人間ドラマとして成立するのは、夏目さんがちゃんと漁師の緒形さんと堂々と渡り合ってるからだと思うんですよ。

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僕は現場にいたから、こうして招かれてお話してますけど、本当は相米がいたら一番よかったんでしょうけど。あの相米が「もう一度あいつとやりたかった」ってしきりに言ってたのが夏目さんでした。それだけの女優さんだったと思うんですよね。あれだけ女優を育てた相米が、夏目さんだけはそういう風に言ってましたね。

僕にとって夏目さんって、年上のお姉さんだったのが先に亡くなっちゃったので、いつの間にか自分の方がオッサンになっちゃったんですけど。でもスクリーンに刻まれた彼女の姿は変わらないんですよね。今回のように映画を上映してその中で夏目さんの変わらぬ生きてる姿を観ること自体が、夏目雅子って女優を生かすことになる。だから、これからも上映があれば映画ファンの方に観ていただいて、夏目さんのことを語り継いでもらえたら嬉しいなと思います。

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