toppic ★『汚れた血』は、製作から長い年月が経っているため、本編上映中一部お見苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

Leos Carax

監督・脚本■レオス・カラックス

1960年11月22日、フランス生まれ。本名アレックス・オスカー・デュポン。 16歳で学校をやめ、翌年17歳で『La Fille Aimee(愛された娘)』という初の短編を撮る。18歳で「カイエ・デュ・シネマ」に映画評論を書き、80年にはイエール映画祭でグランプリを獲得した短編第2作目「Strangulation blues」を製作。

83年には長編処女作『ボーイ・ミーツ・ガール』で衝撃的に84年のカンヌ国際映画祭に登場、ヤング大賞を受賞し一躍脚光を浴びる。86年の『汚れた血』で“神童”“アンファン・テリブル(恐るべき子供)”カラックスの名を世界中に知らしめた。

91年には、2度の中断に見舞われながら完成させた『ポンヌフの恋人』を発表。『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』と同じくドニ・ラヴァンがアレックスの名を持つ主人公を演じた“アレックス3部作”の最終章であるこの作品で、その才能への評価は更に高まることとなった。99年の『ポーラX』では新境地に挑み世界に新たな衝撃を与えた。08年には東京を舞台にしたオムニバス映画の一篇『Tokyo!<メルド>』を発表。その内容は本作でムッシュ・オスカー演じるメルドのパートへ受け継がれている。本作『ホーリー・モーターズ』は『ポーラX』以来、実に13年ぶりの長編作品となる。

filmography

・ボーイ・ミーツ・ガール('83)監督/脚本
・汚れた血('86)監督/脚本  
・ゴダールのリア王('87)出演
ポンヌフの恋人('91)監督/脚本
・ポーラX ('99)監督/脚本
・ミスター・ロンリー('07)出演
・TOKYO!('08)監督/脚本  
ホーリー・モーターズ('12)監督/脚本/出演


レオス・カラックスの女性ファンってどのくらいいるのだろう。
少なくとも私の周りでは、「カラックス大好き!」と言うのは男の子ばっかりだ。
もちろん『汚れた血』『ポンヌフの恋人』が好きという女の人はたくさんいると思う。
でもそれはジュリエット・ビノシュの可憐さであったり、
映像の美しさであったりするところが大きい気がする。
かくいう私も、カラックス作品を初めて観たのは『ポンヌフの恋人』で、
画面いっぱいの花火や、
雪のポンヌフ橋にまんまと心を鷲掴みにされてしまったのだけれど。

男の人がカラックスの映画を好きになるのはなんとなくわかる。
彼の映画は、男性の誰しもが心の内に持っている“少年”を呼び覚ましてくれるのだ。
「アレックス青春三部作」の主人公アレックスは、
自宅の壁に自分史(主に恋愛のこと)を書いてしまったり、
好きな子に元カノの話を延々してしまう。
これって女の子から見たらかなりイタイ。でも概して男の子ってこうなんだよなぁ。
無骨で荒っぽくて、不器用なアレックスは、
カラックス自身の分身である前に、世の少年ひとりひとりの分身なのだ。

2008年に来日した際にカラックスは、
「普通のティーンエンジャーと同じように僕も孤独でした。
バイトをしてボレックスの16ミリカメラを買いました。
カメラは僕にとって、女の子に話しかけるための道具で、
社会とコミュニーケートする道具でした」と語った。

「映画を発見した時は、こここそが自分の家であり、国であるような気がした。」とも。

カメラという玩具を手に入れた少年がそのまま大人になり、
映画という自己表現の手段を見つけた。
自分の中に湧きあがる情熱全てを傾けて、
やりたいことを全部ひとつの物語に詰め込んでしまう。
唐突に鳴り響く音楽と、縦横無尽のカメラ。クローズアップ。色彩。モノローグ。
それから物語のヒロインを演じるミューズはその時付き合っている彼女だということ。
“監督主義”という言葉はあまり好きじゃないが、カラックスの映画は間違いなく、
カラックスの、カラックスによる、カラックスのための映画なのだ。
その純粋な身勝手さが、彼の映画の魅力だと思う。

私は映画の難しいことはわからない。
レオス・カラックスの映画のここがこう素晴らしいとか、解説なんてとてもできない。
でも私はカラックスの映画が大好きだ。『汚れた血』を観てビビビッときたのだ。
映画館のスクリーンで疾走するシーンを何度でも観たくなる。
早稲田松竹でカラックス監督特集ができるなんてわくわくしてしょうがない。

(パズー)

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ボーイ・ミーツ・ガール
BOY MEETS GIRL
(1983年 フランス 104分 35mm ビスタ/MONO) pic 2013年12月7日から12月13日まで上映
■監督・脚本 レオス・カラックス
■撮影 ジャン=イヴ・エスコフィエ
■編集 ネリー・ムニエ/フランシーヌ・サンベール
■音楽 ジャック・ピノー

■出演 ドニ・ラヴァン/ミレーユ・ペリエ/キャロル・ブルックス/エリー・ポワカール/ハンス・メイヤー/アンナ・バルダチーニ/クリスチャン・クロアレック

■第37回カンヌ国際映画祭ヤング大賞受賞

深い夢、孤独な魂
はじまりはありふれたストーリーだった。

picアレックスは失恋したばかり。恋人フロランスは親友のトマのもとに去った。アレックスは壁の絵の裏の「自分史」に新たに書き入れる。「最初の殺人未遂、83年5月25日。グロー・カユーの河岸にて。」いっぽうミレーユも恋人ベルナールとケンカ別れ。外に出たベルナールとミレーユがインターホンで話すのを聞きとめたアレックスは、ベルナールの後をつけカフェでメモを拾う。それはミレーユとベルナールにあてたパーティーへの誘いだった。パーティーにもぐりこんだアレックスの目にミレーユの姿が飛び込む。すでにアレックスは恋していた。

少年は少女に会う。少年は少女を失う。
少年は再び少女に会う。少年は再び…。

pic1984年カンヌ国際映画祭。「批評家週間」で上映された作品のなかでひときわ目立つ一本の白黒映画があった。上映後にわかに注目を集めて「フランス映画界の恐るべき子供(アンファン・テリブル)」「ゴダールの再来」と報じられ、そしてこの『ボーイ・ミーツ・ガール』がパリで封切られたとき、ジャーナリズムは低迷しつつあるフランス映画の救世主として弱冠22才の無名の若者を熱烈に歓迎した。監督の名はレオス・カラックス。12才でブレッソンの『ブーローニュの森の貴婦人たち』に感激し、好んでランボー、ラティゲ、セリーヌを語る早熟な映画作家であった。

pic五月の夜、パリの裏街を舞台にしたベルベットのようにムーディーな白黒映画。ときにはまるで昔のフィルム・ノワールのよう、ときには初期のヌーヴェルヴァーグのよう、それでいて映画はまぎれもなく80年代の「魂の状態」を切々と伝えている。失恋した少年アレックスと少女ミレーユの憂鬱症的な一夜の出会い、恋の炎、そして思いがけぬ悲劇。それらがゴダール的なエピソードの連続によって語られる。


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汚れた血
MAUVAIS SANG
(1986年 フランス 119分 35mm ビスタ/MONO) pic 2013年12月7日から12月13日まで上映
■監督・脚本 レオス・カラックス
■製作 アラン・ダーン/フィリップ・ディアス
■撮影 ジャン=イヴ・エスコフィエ
■音楽(挿入曲など) ベンジャミン・ブリテン/プロコフィエフ/チャーリー・チャップリン/セルジュ・レジアニ/シャルル・アズナヴール/デヴィッド・ボウイ

■出演 ドニ・ラヴァン/ジュリエット・ビノシュ/ミシェル・ピッコリ/ジュリー・デルピー

■1986年ルイ・デリュック賞/第37回ベルリン国際映画祭アルフレッド・バウアー賞受賞

★『汚れた血』は、製作から長い年月が経っているため、本編上映中一部お見苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

愛は伝染する。
少年は金庫を、少女は掟を破った。

あと数年で21世紀を迎えようとしているパリ。彗星が接近しているため、夜でもおそろしく暑い。そして人々は愛の無いセックスによって感染する新しい病気「STBO」の蔓延に恐れおののいていた。

pic天涯孤独となった少年アレックスは、どこか別の場所で新しい人生を送りたいと思っている。ガールフレンドのリーズと過ごす愛のひとときも彼には無意味で、ただここから抜け出せればよかった。中年の男マルクと美少女アンナに誘われてアレックスは脱出のための金欲しさに、犯罪に手を貸す。マルクは亡き父親の友人でアンナはマルクの情婦。いつしか、アレックスはアンナを愛するようになるのだが…。

夜が走り、愛が呻く

pic衝撃は予告なしでやって来た。21世紀の足音が聞こえるパリ。ふとしたことから知り合った男と女と男の、永遠に結ばれないトライアングルを、26歳の天才監督がとんでもなく素晴らしい映画に仕上げたのだ。かつて無かった斬新な画面作りと、スピーディーでかつリリカルなストーリー展開。レオス・カラックス監督長編二作目となる『汚れた血』は「興奮させ、しびれさせる最も感覚的な映画」と絶賛された。

pic主人公アレックスを演じるのはもちろん“カラックスの分身”ドニ・ラヴァン。『ボーイ・ミーツ・ガール』の少年が、よりセンシティブで不可解な若者に成長し、彼以外には考えられないキャラクターでテーマに深みを与えている。アレックスの才能を犯罪に利用する初老の男マルクに名優ミシェル・ピッコリ。そして、マルクの情婦でありアレックスの憧れの女に扮するのがジュリエット・ビノシュ。彼女の少女のような喋り方、前髪を息で吹き上げるポーズ、そしてラストの疾走シーンは、色褪せることのない魅力に溢れている。



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