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成瀬巳喜男

監督■成瀬巳喜男

1905年東京に生まれる。

1920年、15歳の時に松竹キネマ蒲田撮影所に小道具係として入社。1929年、短篇喜劇『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。

1931年『腰弁頑張れ』で注目を集め、その後の『君と別れて』『夜ごとの夢』といった作品で高い評価を獲得。日本映画の新人監督中のホープと目される。 1934年、29歳の時にPCL(東宝の前身)に引き抜きで入社。初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』を監督。次いで『妻よ薔薇のやうに』(『楽しい我が家』改題)は、この時期の日本トーキー映画の最高の到達点との評価を受け、翌年には『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は"Kimiko"という英題で1937年にニューヨークで封切られ、アメリカで興行上映された初の日本映画となった。『雪崩』の撮影ではセカンド助監督に黒澤明がいた。

戦後、「東宝大争議」が勃発。成瀬は山本嘉次郎らと共に東宝を離れ、映画芸術協会に参加。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。

1951年、『めし』を監督。成瀬にとって最初の林芙美子物となり、脚色の田中澄江、井出俊郎とも初コンビであった。永年の低迷から復活した、起死回生の一作として高く評価される。その後、林芙美子原作の『稲妻』『妻』『晩菊』『浮雲』『放浪記』、川端康成原作の『舞姫』『山の音』等の純文学作品から大衆作品までを幅広く手掛ける。なかでも1955年の『浮雲』は成瀬映画の最高作との定評を得て、翌年の映画賞を総ナメにした。

遺作は1967年の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。

ランプハウスで増幅された光が、35mmフィルムを通り抜けて、レンズに照射され拡散していく。ただでさえ周囲のものに吸収されやすい、この光のように単純で繊細な実在が、透過光から反射光へと名前を変えながら、あの最も残酷で非情な白銀のスクリーンと格闘して私たちの前に現れる。

ふとした不安から、あるいは真っ直ぐな性質から道を誤ったかもしれない。決断するほどの材料がそこにあるとは思えない。ただちょっとした汚れや、諦めに身を寄せたのか、離そうとしたのかもしれぬ。その理由を聞くのはやめておこう。そのような下世話な心配に準備する答えなど、まるで持ち合わせないまま部屋を飛び出したのだ。

そこには私たちが見る前に期待していたかわいいあの子でも、遥か昔に思っていた懐かしいあの子でもなく、傷つき、年齢を重ねたまま生き残った、同時に見紛うこともないあの子のままの姿が、場内いっぱいに身を晒している。

このまま滑らかに過ぎていくささやかな運動が私たちの目を奪うとき、休むことなく、一つの映画が起ち上がり続ける。
成瀬巳喜男の映画だ。

あの『あらくれ』の高峰秀子。彼女が結い上げた髪に込められた願いと、流麗な啖呵に凝縮されていく空気の健やかさ。伸ばした手もはねのけられてしまいそうな激しさと、すべて覆い隠してしまいたくなるような柔らかさの出会いを。

佇まいの良い女性、それも高峰秀子が演じる戦争未亡人が、義理の弟の告白に「私だって女よ」と、狂ってしまう。その決定的としかいえないような欠落を生きる『乱れる』の持続と弛緩。

外に大きく開け放たれた玄関と妻の領域である勝手、夫が居座る居間とを一重に、倦怠と不安のあわいで繰り広げられる『めし』の非日常性が、断続的な生活への反旗を翻す。

全員腹違いの兄弟姉妹と母親が繰り広げる、金銭的な乏しさと騒がしさの中、ようやくたどりついた母娘の対話には、予告通り『稲妻』が一つ。忘我とエウレカの隙間にある風通しのいい静けさを成瀬巳喜男は見い出だした。

この健やかなる静かさに成瀬巳喜男の技術の結晶を見るためには、劇的な瞬間から日常的な瞬間までをひとつなぎにして、過去を剥がれながら漂着するひとつの出会いがある。

どこまでも続いていくその瞬間ごとにしか巡り合うことのできないその姿を、スクリーンの上に見つけてしまったときに、私たちは自分の体を抱かずにはいられないだろう。私はそれを日本人が成瀬巳喜男映画を見ることへのささやかな報酬だと思ってやまない。

2013年も、この映画としか思えないような特権的な瞬間と、すべてのスクリーンに幸がありますように! 賀正!

(ぽっけ)


filmo

「腰辨頑張れ」(1931)監督/脚本/原作 「生さぬ仲」(1932)監督 「君と別れて」(1933)監督/脚色/原作 「夜ごとの夢」(1933)監督/原作 「限りなき舗道」(1934)監督 「乙女ごころ三人姉妹」(1935)演出/脚本 「妻よ薔薇のやうに」(1935)演出/脚本 「噂の娘」(1935)演出/脚本 「桃中軒雲右衛門」(1936)演出/脚本 「女人哀愁」(1937)演出/脚本/原作 「禍福 後篇」(1937)演出 「鶴八鶴次郎」(1938)演出/脚本 「はたらく一家」(1939)演出/脚色 「まごころ」(1939)演出/脚本 「旅役者」(1940)演出/脚本 「なつかしの顔」(1941)演出/脚本 「秀子の車掌さん」(1941)演出/脚本 「歌行燈」(1943)監督 「愉しき哉人生」(1944)監督/脚本 「芝居道」(1944)演出 「三十三間堂通し矢物語」(1945)演出 「浦島太郎の後裔」(1946)演出 「四つの恋の物語」(1947)演出 「不良少女」(1949)監督/脚本 「石中先生行状記」(1950)監督 「怒りの街」(1950)演出/脚本 「白い野獣」(1950)監督/脚本 「薔薇合戦」(1950)監督 「銀座化粧」(1951)監督 「舞姫」(1951)演出 「めし」(1951)監督 「お国と五平」(1952)監督 「おかあさん」(1952)監督 「稲妻」(1952)監督 「夫婦」(1953)監督 「妻」(1953)監督 「あにいもうと」(1953)監督 「山の音」(1954)監督 「晩菊」(1954)監督 「浮雲」(1955)監督 「くちづけ」(1955)製作 「驟雨」(1956)監督 「妻の心」(1956)監督 「流れる」(1956)監督 「あらくれ」(1957)監督 「杏っ子」(1958)監督/脚本 「鰯雲」(1958)監督 「コタンの口笛」(1959)監督 「女が階段を上る時」(1960)監督 「娘・妻・母」(1960)監督 「夜の流れ」(1960)監督/製作 「秋立ちぬ」(1960)監督/製作 「妻として女として」(1961)監督 「女の座」(1962)監督 「放浪記」(1962)監督/製作 「女の歴史」(1963)監督 「乱れる」(1964)監督/製作 「女の中にいる他人」(1966)監督 「ひき逃げ」(1966)監督 「乱れ雲」(1967)監督 「恋にめざめる頃」(1969)脚本

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あらくれ
(1957年 日本 121分 スタンダード/MONO) 2012年12月29日から12月31日まで上映
■監督 成瀬巳喜男
■原作 徳田秋声「あらくれ」
■脚本 水木洋子
■撮影 玉井正夫
■音楽 斎藤一郎

■出演 高峰秀子/上原謙/森雅之/加東大介/仲代達矢/東野英治郎/岸輝子/宮口精二/中北千枝子

★3日間上映です。
★製作から長い年月が経っているため、本編上映中、お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

“傑作の森”を支えた水木洋子との最後のコンビ作
大正初期をたくましく生きる女性の一代記

大正の初め。お島は庄屋の娘だが、子供の頃から農家に養子にやられていた。勝ち気で気が強く、親が決めた結婚を嫌がり、結婚式の晩に逃げ出して東京に来てしまった。現在は植源の世話で缶詰屋の鶴さんの後妻となっていたが、二人の間には激しいいさかいが絶えなかった。ある日、二人は掴み合いの喧嘩となり、はずみで階段に落ちたお島は流産してしまう…。

女性映画の名匠と定評のあった成瀬の作品歴でも、最もエネルギッシュな女性が登場する。原作は日本自然主義文学を代表する徳田秋声の名品。かねてからこの小説の映画化を企てていたという成瀬は、水木洋子脚本、高峰秀子主演に森雅之も加わり、『浮雲』を再現する布陣を集めた。<自分の力で自分の運命を切りひらいていくたくましい女性を描きたい>との抱負を語り、大正初期に突出した能動的女性の一代記を描き上げた。


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乱れる
(1964年 日本 98分 シネスコ/MONO) 2012年12月29日から12月31日まで上映

■監督・製作 成瀬巳喜男
■製作 藤本真澄
■脚本 松山善三
■撮影 安本淳
■音楽 斎藤一郎

■出演 高峰秀子/加山雄三/草笛光子/白川由美/三益愛子/浜美枝/藤木悠

★3日間上映です。

未亡人と義弟の許されない愛――
高峰秀子の繊細な演技が光る傑作メロドラマ

pic清水にある森田屋酒店は、この店に嫁いで夫に先立たれた未亡人の礼子が切り盛りしていた。しかし最近は、近所にスーパーマーケットができ、その影響で客が減っているのが悩みの種だった。森田家の次男幸司は、最近東京の会社をやめ清水に帰っていたが、仕事もせずに毎日ブラブラ遊んでいるだけ。そんな幸司をいつも優しくむかえるのは、義姉の礼子だった。再婚話も断り、十八年この家にいたのも、次男の幸司が成長する迄と思えばこそであった。ある日、見知らぬ女との交際で口喧嘩となり、幸司は礼子に、今までの胸の内をはきすてるように言った。「馬鹿と言われようが、卑怯者といわれようが、僕は義姉さんの側にいたい。」礼子は突然の幸司の告白に驚いた。それからの幸司は、真剣に店を手伝い始めるが…。

名脚本家で、高峰秀子の夫でもある松山善三のオリジナル・シナリオ。原型は彼が前年に書いたTVドラマ『しぐれ』である。舞台は地方の小都市の酒屋。時代の趨勢に逆らえず推移していく街の表情を背景に、未亡人と彼女に思慕を寄せる義弟の恋愛心理劇を描く。複雑な乙女心を表現する高峰秀子の演技はいつもながら素晴らしく、当時人気絶頂のスターであった加山雄三の見違えるような繊細さも魅力である。限られた登場人物、時間、空間の中で魅せる秀逸なメロドラマ。



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めし
(1951年 日本 97分 スタンダード/MONO) 2013年1月1日から1月4日まで上映
■監督 成瀬巳喜男
■監修 川端康成
■原作 林芙美子
■脚本 井手俊郎/田中澄江
■撮影 玉井正夫
■音楽 早坂文雄

■出演 上原謙/原節子/島崎雪子/杉葉子/風見章子/杉村春子/花井蘭子/二本柳寛/小林桂樹

★4日間上映です。
★製作から長い年月が経っているため、本編上映中、お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

慎ましい生活を送る夫婦の間に、
ふとした事から深まってゆく亀裂――
成瀬作品の真骨頂が見出せる初期の傑作

pic岡本初乃輔と三千代が結婚して五年が経った。初乃輔の転勤で、二人は大阪市内のはずれ、天神の森の横丁にささやかな居を構えていた。周囲の反対を押し切っての結婚だったが、今では毎日の生活に疲れて、新婚の時の情熱は失われていた。ある日、初乃輔の姪、里子が東京からやってきた。縁談が気に入らず、家出してきたと言うのだ。翌日、里子と大阪見物に出かけた初乃輔は、里子の現代っ子ぶりに面食らわされる…。

原作は、林芙美子が朝日新聞に連載途中に急逝したため、未完に終わったもの。彼女と親交のあった田中澄江に、井出敏郎が協力し脚色した。監督は当初千葉泰樹の予定であったが、直前の急病で成瀬が代役となった。何気ない生活の細部に心理の綾が適確かつ客観的に表現され、女流作家の観察を触媒として、叙情に流されない成熟した日常的リアリズムを確立した作品である。




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稲妻
(1952年 日本 93分 スタンダード/MONO) 2012年1月1日から1月4日まで上映
■監督 成瀬巳喜男
■原作 林芙美子
■脚色 田中澄江
■撮影 峰重義
■音楽 斎藤一郎

■出演 高峰秀子/三浦光子/村田知英子/植村謙二郎/香川京子/根上淳/小沢栄/浦辺粂子

★4日間上映です。
★製作から長い年月が経っているため、本編上映中、お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

下町に生きる人間たちのありのままを鮮烈に描く
自然主義的リアリズムを強く感じる秀作

pic観光バスのガイドをしている清子は、仕事中に次姉・光子の夫・呂平が見知らぬ女性と町を歩いているのを見かけた。清子が帰宅すると、長姉・縫子が清子にパン屋の綱吉との縁談を持ってきていた。しかし清子には、小金持ちの綱吉を利用するための縁談に思えて気が乗らない。清子にはこのほかに嘉助という兄がいたが、嘉助は毎日仕事もせずにブラブラしているばかり。四人の兄妹の父親はみんな違っていた。

そんなとき、呂平が急死する。そこへいつか清子が町に呂平と歩いているところを見かけた女性・りつ子が、子供を背負ってやってきた…。

『めし』と同じく、林芙美子の原作を田中澄江が脚色したもので、時代は戦後に改められた。東京下谷辺りを核とする下町的地縁と、父親の違う三姉妹のもつれた血縁がからみ合う世界に、精力的な男の欲望が物欲と色欲を曝け出す。『おかあさん』では抑圧されていた人間性の本能的な部分を摘出して、成瀬の自然主義リアリズムへの親近を感じる一作。





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