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2週間にわたってお送りする早稲田松竹のジャン=リュック・ゴダール特集。
ゴダールの古典的名作から最新作まで、見逃せない豪華ラインアップです。
今週は『勝手にしやがれ』/『気狂いピエロ』の組み合わせ。
フランス、ヌーヴェル・ヴァーグの産声を告げ、その存在を決定的にした二本を上映いたします。

疾走×失踪 ヌーヴェル・ヴァーグと青春

ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)。
1950年代の末、世に多くの若い監督を送りだしたフランスのこの潮流は、
本来、監督となるには早い、若い年齢の人々が、個人の生い立ちや感受性を存分に生かし、
なおかつ映画批評家として、様々な映画の知を取り入れ、
若者の等身大な姿や監督の個性が作品を彩る傑作を数多く生み出した。

その中でもゴダールの作品はとりわけ奇抜なものだった。
男と女の無軌道な道中は、手持ちキャメラですべて即興演出で撮影。
撮影所を離れて、自然光が降り注ぐパリの路上、野外へと飛び出す。
ブツ切りされるシークエンスと音楽。そして煙に巻かれるような数々の引用…。 

つかみどころなく無定形な映画。だけど"私達はみんな気狂いピエロだ"と言われたように、
そこから浮かび上がる絵模様が切実に心の琴線に触れるのだから、不思議。
でも、これがゴダール映画なのだ。色彩、音楽、そして登場人物たちが躍動し、観る者の心をとらえて離さない。

中でも初期ゴダール作品はとにかく登場人物のファッション、セリフ、その全てが魅力的。
帽子にサングラス姿が印象的で、横柄にくわえタバコをふかし、車をかっ飛ばす武骨さ、
キリキリと痛むような空虚を抱えて、死へと疾走(失踪?)するニヒルな
ジャン=ポール・ベルモンドの姿はたまらなくカッコイイ。

そして可愛らしく小悪魔のような、キュートなファム・ファタールぶりを見せつける、
ゴダールの描く女性は、監督の洗練されたセンスを感じる最たるもの。
ボーダーのシャツを着たベリー・ショート(セシルカット!)のジーン・セバーグ(『勝手にしやがれ』)。
色彩鮮やかなファッションとアンニュイな雰囲気が印象的な、ヌーヴェル・ヴァーグのアイドル、
アンナ・カリーナ(『気狂いピエロ』)。

男/女、幸福/絶望、愛/裏切り。様々な矛盾をはらみ、掛け合い、物語は疾走し、空転する。
ゴダールの横滑りの青春物語二本。

とにかく、海が、山が、街が、好きでも嫌いでも、今週はぜひ早稲田松竹にお越し下さい。
ゴダール作品を未見の方は、この組み合わせをスクリーンで初体験出来ることが羨ましい。
そして、もう何十回と観た! という方も、
フィルムに焼き付いた刹那的な"永遠"を何度でも感じてほしいと思います。     (ミスター)

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気狂いピエロ
PIERROT LE FOU
(1965年 フランス 109分 シネスコ/MONO) 2011年8月13日から8月19日まで上映 ■監督・脚本・台詞 ジャン=リュック・ゴダール
■撮影 ラウール・クタール
■音楽 アントワーヌ・デュアメル

■出演 ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ/レイモン・ドゥヴォス/サミュエル・フラー

★本編はカラーです。

それは冒険映画だった それは愛の物語だった
生きた。書いた。愛した。気狂いピエロ――

冒険活劇漫画<ピエ・ニクレ>を携えて、パリからフランスを縦断して南仏コート・ダジュールにむかうフェルディナン・グリフォンとマリアンヌ・ルノワール。マリアンヌはフェルディナンをピエロと呼ぶ。パリを去るのは日常の悪夢からの脱出だったが、青春は常にアナーキーで暴力的で犯罪に彩られて輝いている。

愛と永遠を求めて、マリアンヌはピエロを裏切り、ピエロはマリアンヌを殺して自爆する。残った空と海に聞こえるふたりのささやきはランボーの詩だ。
<みつかった><何が?><永遠が><海が><太陽にとけこむ…>。

ゴダールの情熱と才能とポエジーにあふれた長編第10作
ヌーヴェル・ヴァーグの頂点を極めた永遠の傑作!

複数の物語が重層的に進行する構造、常套的な順序と関係のない新しい編集、氾濫とまで形容された引用で、最初に発表されたヴェネチア映画祭では賛否両論の議論を呼んだが、今では年月に風化されるどころか、時代を消化して堂々たる古典の風格と美しさにきらめいている本作。<映画は人生だ、人生は映画だ>と断じきって疾走に疾走を続けるゴダールの、青春と天才と情熱がみなぎり、愛妻アンナ・カリーナへの幸福で絶望的な愛が全編をつらぬくヌーヴェル・ヴァーグの最高傑作である。

≪「気狂いピエロ」とは「女と男のいる補道」に立って「女は女である」事を知り、また、『新世界』に入って「勝手にしやがれ」などと息たえだえにくたばらぬためには『はなればなれに』ならねばならぬ事を、「軽蔑」の感情をもって発見する「小さな兵隊」なのだ≫
―――「気狂いピエロ」製作完成当時のプレスブックより。


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勝手にしやがれ
A BOUT DE SOUFFLE
(1959年 フランス 89分 SD/MONO) 2011年8月13日から8月19日まで上映 ■監督・脚本・台詞 ジャン=リュック・ゴダール
■撮影 ラウール・クタール
■音楽 マルシャル・ソラル
■原案 フランソワ・トリュフォー
■監修 クロード・シャブロル

■出演 ジャン=ポール・ベルモンド/ジーン・セバーグ

■1960年ジャン・ヴィゴ賞/1960年ベルリン映画祭最優秀監督賞

「俺は最低だ…」
「最低って何のこと?」 」

ミシェル・ポワカールは自動車泥棒の常習犯。マルセイユでかっぱらった車をとばしながら、ミシェルは歌をうたい、数日前に寝たパトリシアの名を口にし、拳銃で太陽を射ったりしているうちに、追越違反で追ってきた白バイをあっさり射殺してしまう。

パリに帰ったミシェルは、アメリカからの留学生で、新聞の街頭売子をしているパトリシアと再会する。彼女と一緒にいたいミシェルを尻目に、新しい仕事に忙しいパトリシア。街では白バイ殺しの犯人として刑事たちがミシェルを探していた。尋問されたパトリシアは、ミシェルと一緒に仲間のアパートに逃げ込む。しかし翌朝、パトリシアはミシェルへの愛を確かめるために、彼を警察に密告するのだった…。

死に向かって暴走する息切れの青春
ゴダール不滅の傑作!

1959年初冬のパリの試写室は興奮に包まれた。新人ゴダールの長編第一作目「勝手にしやがれ」の誕生である。映画は絶賛された。編集も、撮影も、演技も、脚本も、演出も、ことごとくタブーに挑戦し、タブーを打ち破っていた。常識からいえば失敗作のはずのこの映画には、青春のアナーキーなロマンチスムが、みずみずしく、輝いて脈打っている。

「勝手にしやがれ」は全世界の若者の心をたちまちとらえた。ヌーヴェル・ヴァーグの神話とともに、くわえタバコにサングラスのベルモンドを世界のスターダムにのしあげ、ゴダール流の即興演出や、説明排除のジャンピング・カット編集や、手持ちカメラでの街頭撮影が、60年代にアメリカ映画をはじめ世界各国のニューシネマに飛び火して、世界の映画を一変させた。トリュフォーは言う。“映画の歴史上、「勝手にしやがれ」は40年の「市民ケーン」と同じくらい決定的な転向点を印した。”と。


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