toppic

北野武

北野武(ビートたけし)

1947年東京生まれ。お笑いタレント、司会者、映画監督、俳優、作家、歌手、また東京藝術大学大学院映像研究科教授として幅広い分野で活躍する。お笑いタレントでは「ビートたけし」名義で数々のテレビ番組に出演、日本国外では映画監督としての知名度が高い。

1997年、映画『HANA-BI』で第54回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。日本作品では40年ぶりとなる快挙を達成する。また、第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加した映画『菊次郎の夏』は監督賞にノミネートされ、約5分間のスタンディングオベーションを受けた。

2008年、第30回モスクワ国際映画祭で特別功労賞 を受賞。2003年の新藤兼人に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。そして2010年、フランスの芸術文化勲章であるコマンドール章が授与された。コマンドール章は芸術文化勲章の最高章。約3ヶ月間、北野武監督作品がジョルジュ・ポンピドー芸術文化センターで上映されたほか、作品展「絵描き小僧」がカルティエ現代美術財団で開催された。また、「キタニスト」と呼ばれる北野ファンが会場につめかけたことでも話題を呼んだ。

フィルモグラフィ

*監督作品のみ

・『その男、凶暴につき』監督・主演('89)
・『3-4x 10月』監督・脚本・出演('90)
『あの夏、いちばん静かな海。』監督・企画・脚本('91)
『ソナチネ』監督・脚本・主演('93)
・『みんな〜やってるか!』監督・脚本・出演('95)
『キッズ・リターン』監督・脚本('96)
・『HANA-BI』監督・脚本・主演('98)
・『菊次郎の夏』監督・脚本・主演('99)
・『BROTHER』監督・脚本・主演('01)
・『Dolls』監督・脚本('02)
『座頭市』監督・脚本・主演('03)
・『TAKESHIS'』監督・脚本・主演('05)
・『監督・ばんざい!』監督・脚本・主演('07)
『アキレスと亀』監督・脚本・主演('08)

最新作『アウトレイジ』公開直前の北野武監督。
今回は彼の作品の中でも特に人気がある
『ソナチネ』『キッズ・リターン』を上映します。

pic

ビートたけし。
その存在に私は子供の頃から魅了され畏怖し続けてきた。
彼がテレビの中で演じた大久保清。
実物を勝るとも劣らない狂気に、初めて映像から恐怖を感じた。
それは私にとって映像を意識して見た原初的な体験である。

そして『ソナチネ』を初めて見た時の衝撃と感動。
テレビのコードを逸脱した、生身のたけし。
<北野武>が<ビートたけし>という肉体で遊んでいる。
それは自己発見というちゃちなものではなく、
命がけの”生の遊戯”をしているように見えた。

ビートたけしは初期衝動が似合う、本物のパンクス。
「見る前に跳べ」と心の中で唱え続けているという。
衝動と並行する、彼の”生”の不安定さ。
私が子供の頃からたけしに魅了されていたのは、
彼の”死”を湛える存在感そのものにあったように思う。

今回の特集で重要なところは、
『ソナチネ』と『キッズ・リターン』の間に、
たけしがバイク事故を起こし生死を彷徨ったということ。
両作とも彼のその時の死生観が顕著に表れた映画である。

彼の基盤は映画や文学ではない。
誰にも真似できない豊富な経験と、
全身反射神経ではないかと思わされる彼の鋭い思考。
自らの”肉体”から物語を紡ぎだす才能。
その北野武にしか創れない、
”たけしの生”が映画に刻印されていることに感動するのだ。

ビートたけしの表現への欲求は尽きることがない。
発信される彼の表現には、独自の死生観に裏打ちされた、
生きることの実感が常にある。
笑い、暴力、そして愛。
超一流のエンターテナーでありロマンチストである
ビートたけしの最高の遊び場=映画を通して、
もっと彼に惚れてゆきたいと思う。


キッズ・リターン
(1996年 日本 108分 ビスタ/SR)pic2010年6月5日から6月11日まで上映

■監督・脚本・編集 北野武
■撮影 柳島克己
■音楽監督 久石譲

■出演 金子賢/安藤政信/森本レオ/山谷初男/柏谷享助/大家由祐子/寺島進

■日本アカデミー賞 新人俳優賞(安藤政信)/ブルーリボン賞監督賞/日本映画プロフェッショナル大賞監督賞

日本を代表する青春映画と言っても
過言ではない『キッズ・リターン』。
自転車を二人乗りするシンジとマサルは、
今や青春のイコンだ。

高校の同級生のシンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)は、
学校をサボってはいつもつるんで遊ぶ毎日を送っていた。
ある夜、ヤクザに絡まれたシンジとマサルは、
それを咎めた組長の迫力に感動を覚える。
そんな頃、マサルはカツアゲした高校生が助っ人に呼んだ
ボクサーにのされてしまう。自尊心を傷つけられたマサルは、
自分もボクシングを始め練習に励みだした。
マサルに連れられてジムを訪れたシンジも、
成り行きからジムに入門することになった。
ところが、遊び半分の初めてのスパーリングで、
マサルに鮮やかなカウンターを浴びせたシンジは、筋の良さを
ジムの会長に認められ、本格的にプロを目指すことになる。
面白くないマサルはジムをやめ、あの時出会った組長のもと、
ヤクザの世界に足を踏み入れてしまう…

たけしの人生や社会に対する視点の確かさ。
どこにでもいるような工員風の男に悪習を教えられたことが、
シンジがボクシングを挫折するきっかけとなる。
人間の運命を変えるのは、特別な力を持った人間ではなくて、
どこにでもいる普通の人間である。
誰にも憶えのあるこの現実的真理を、
映画で描いてしまうことの凄さ。
「強い奴は何しても強いんだよ」
モロ師岡が繰り返すこの言葉ほど、
絶望を私たちに突き付けるものはない。

バイク事故の前、たけしはテレビの中で絶頂を極め、
疲弊していたことは否めない。
そんな彼の事故は少なからず自死の印象を与えた。
意識不明になりながらも生き残ったたけし。
肉体が精神を超える瞬間。
たけしの肉体が死を拒絶した事実。

そして、キッズ・リターン。
死にかけたビートたけしの生が、
シンジとマサルの中で生き生きと芽吹いてくる。
他の少年たちも漫才師になる者、女に人生を翻弄される者など
もう一人のたけしの刻印がつぶさに押されている。
自ら制御しがたい青春という名の、必敗する魂の輝き。
「バカヤロウ、まだ始まっちゃいねえよ」
たけしのその宣言に今でも心打たれたままだ。


このページのトップへ
line

ソナチネ
(1993年 日本 94分 ビスタ/ドルビーA) pic 2010年6月5日から6月11日まで上映 ■監督・脚本・編集 北野武
■撮影 柳島克己
■音楽監督 久石譲

■出演 ビートたけし/国舞亜矢/渡辺哲/勝村政信/寺島進/大杉漣

■日本アカデミー賞音楽賞/日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞

凶暴な男、ここに眠る。
沖縄の陽光に突き刺された人間どもの死のゲーム。
炸裂する鮮血、そしてキタノブルー。
武がたけしを殺す。
その緊張にあなたは耐えきることができるか?

羽振りはいいがヤクザに嫌気がさしてきた
北嶋組の幹部・村川(ビートたけし)。
退屈しのぎに、勝手にノミ行為をやっていた麻雀屋を
クレーンで吊るし海に沈めてみたり。
ある日村川は、羽振りのいい彼を疎ましく思う親分や
他の幹部たちの差しがねで、沖縄の組織抗争の助っ人に
行くことになるが、助っ人に同行したのは、
素人同然のクズばかりだった。
抗争の中、殺戮に巻き込まれながらも、
沖縄の灼熱の太陽のもとで、むしろ不気味なほど
明るく無邪気な男たち…

この映画が凄いのは、村川たちを追い詰める
敵のいないところでも死を感じさせるところだ。
唯一危険を感じさせる殺し屋が現れても、
何事もなかったかのように殺し消える。
彼らの殺される予兆があっても、
それは自死してゆく印象しか与えない。
この映画に通底しているのは、内側から崩壊してゆく感覚。
『ソナチネ』は村川の内面を描いた映画だと言える。

「あんまり死ぬの恐がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」
”死”を描き続ける映画作家、北野武。
村川は自らの命を弄び、拳銃のロシアンルーレットで
想像上の自死を遂げる。
それは映画内における村川の必須の死だけでなく、
たけし自身の死をも暗示させる衝撃的なものだ。
映画の中で”武”が”たけし”を裸にする。
自らを徹底的に突き放し、自らを表現すること。
一つの表現体であるたけしの固有性は、
ここに貫かれている。

彼の映画を見ていると、意味的ではなくて
生理的にフィルムをカットし編集していることに気付く。
たけしの肉体が現前したスピード感覚。
観客はそのスピードに酔う。
北野映画が観客にもたらすのは身体感覚の変容である。
芸術がこの現代に対抗する力を持ち得るとしたら、
個人にその精神を反射させることだ。
反射する、たけしの肉体。
その強さと儚さは、一遍の詩として私たちを魅了し続ける。

(mako)



このページのトップへ