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ヴィターリー・カネフスキー

ヴィターリー・カネフスキー

1935年生まれ。本名はヴィターリー・エフゲニエヴィッチ・カネフスキー。25歳でモスクワの全ロシア映画大学(VGIK)に入学するが、在学中に無実の罪で投獄され、8年間の獄中生活を送る。釈放後に同校を卒業してレンフィルム撮影所に入り、短編映画の撮影スタッフや助監督として働く。

53歳の時、アレクセイ・ゲルマンに見出され、監督を務めた長編2作目の『動くな、死ね、甦れ!』で第43回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞し、その名を世界的に知られるようになる。また、その続編となる『ひとりで生きる』で第45回の同映画祭審査員賞を受賞。そして、1993年これら二作品の主演2人の再会をカメラに収めた『ぼくら、20世紀の子供たち』を制作し、世界中の映画ファンから熱狂的な支持を受けるも、後に1本のドキュメンタリーを遺し、映画界から姿を消してしまう。

 

フィルモグラフィ
・『4番目の秘密』(短編)'77(日本未公開)
・『田舎の物語』'81(日本未公開)
『動くな、死ね、甦れ!』'89
『ひとりで生きる』'91
『ぼくら、20世紀の子供たち』'93
・『KTO Bolche(The New Russian Enterpreneurs)』'00

ヴィターリー・カネフスキー。
53歳にしてやっと撮ることができた
長編2作目の自伝的作品『動くな、死ね、甦れ!』。
この作品で1990年のカンヌ映画祭カメラ・ドールを受賞。
カメラ・ドール、つまり新人賞。

映画を生み出すまで、人生の長い溜め。
彼は1935年ソ連生まれ。
25歳でモスクワの全ロシア映画大学に入学するが、
在学中に無実の罪で投獄され8年間の獄中生活を送る。
彼の人生は何か狂っている。

「僕は、自分の子供時代を甦らせるため
  現在という時の流れを止めた
  そして止めることは死を物語る
  更にそれをフィルムの中に起こすため
  僕はもう一度甦ったんだ」

なぜ子供時代にこだわり続けるのか。
子供たちの受難を描いた名作は多い。
カネフスキーの映画の少年たちはその中でも異質である。
彼らは悪ぶっているのではない。
完全なる”悪”なのだ。

戯画的な表現の裏に隠された、
不良少年たちの傷つきやすい繊細な感受性。
カネフスキーはそんな彼らを自分自身として見つめている。
そこに描かれているのは自らの過去でありながら、
現在を生きる彼自身の姿だ。
自らも”悪”を生きているという自覚。
そこから世界に向けるまなざしは冷徹で厳しい。

『動くな、死ね、甦れ!』
『ひとりで生きる』
『ぼくら、20世紀の子供たち』

印象深い題名を持つこの映画の中に、
私は20世紀の子供だった自分の姿を発見した。
世紀の敷居を越えて大人になり、
今あるのはダメな自分とデタラメな世の中。
私自身がもう一度甦るために、
網膜にこの映画を焼き付けたいと思う。


動くな、死ね、甦れ!
Замри, умри, воскресни!
(1989年 ソビエト 105分 SD/MONO ) 2010年7月10日から7月16日まで上映 ■監督・脚本 ヴィターリー・カネフスキー
■撮影 ウラディミール・プリリャコフ/N・ラズトキン
■音楽 セルゲイ・パネヴィッチ

■出演 パーヴェル・ナザーロフ/ディナーラ・ドルカーロワ/エレーナ・ポポワ

■1990年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール/1990年フランダース映画祭グランプリ

『大人は判ってくれない』『小さな恋のメロディ』を超える傑作!

「カメラはあの女を追え、他の者は構うな!」
突然画面に響く、カネフスキーの声。この映画は想いあふれる人生を生きる、ひとりの映画作家の魂の叫び。

第二次大戦直後のロシア。収容所地帯と化した小さな炭鉱町に生きる少年ワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)と少女ガーリヤ(ディナーラ・ドルカーロワ)は共に12歳。ワレルカは母親への反発から、悪戯を次第にエスカレートさせていく。そんな彼の前に守護天使のように現れては、危機を救ってくれるガーリヤ。二人に芽生えた淡い想い。しかしふたりの運命は、とんでもない方向へ転じていく…。

家族や学校という社会に溶け込めない、ワレルカ。
彼をこの世界で唯一承認する存在、ガーリヤ。

ワレルカを取り囲むのは、大人たちの不条理ばかり。彼はそれに対抗して悪戯を繰り返す。無邪気であるはずの悪戯が、彼の意図を超えて暴発する。ワレルカが”悪”としての烙印を押されるほど、大人たちの偽善が鮮明になる構図。

大人たちに対する怒りが、ワレルカに”悪”を引き受けさせる。
この映画に宿っているのは、カネフスキーの執念だ。

悲劇的な存在であるはずのワレルカとガーリヤが、尋常でなく”元気”である姿。歌ったり、踊ったり、じゃれ合ったり。その力は絶望を一瞬にして吹き飛ばす。

カネフスキーが人間の生命力を全肯定していること。この映画の救いはそこにある。子供たちのみなぎるパワー。それをありのまま見つめて、ひたすら信じ続けること。ヒューマニズム。
それはこの映画にこそふさわしい言葉だ。


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ひとりで生きる
Une vie independante
(1991年 フランス・ロシア 97分 ビスタ/MONO ) 2010年7月10日から7月16日まで上映 ■監督・脚本 ヴィターリー・カネフスキー
■撮影 ウラディミール・プリリャコフ
■音楽 ボリフ・リチコフ

■出演 ディナーラ・ドルカーロワ/パーヴェル・ナザーロフ

■1992年カンヌ国際映画祭審査員賞

『動くな、死ね、甦れ!』から2年、
世界が待ち望んだ奇跡の続編

「俺なんか消えた方がいいのか!俺はもうひとりだ!」
少年が大人へと成長してゆく、軋むような痛み。その痛みを知るすべての人たちに、この映画は捧げられる。

15歳のワレルカは子供時代に別れを告げようとしていたが、大人たちの世界はより悲劇的な様相を呈していた。そんな彼の唯一の心の拠り所は、ガーリヤの妹ワーリャだけだった。ワレルカは悪行を重ね、学校を退学となり果ては警察に追われる身となって、ひとり町を出る。残されたワーリャは、ワレルカに手紙を送り続けるが…。

白黒からカラーへ。
まず青ざめた大地に圧倒される。ロシアの凍てつく、大地の絶望。それが人間に反射して体温を奪い、その表情は死を想わせる。

ワレルカは故郷を離れ、取り憑かれたように流浪し続ける。すべてを拒む彼の姿。それは観客すら突き放し、感情移入を許さない。
”ひとりで生きる”
この悲愴な覚悟こそ、大人になるということ。そんな厳しい人生に対する想いに、カネフスキーの人間としての魅力を感じてしまう。

彼が世界を知っているということ。それはシーン描写の力強さに表れている。人間が感情にまかせて暴れまわり、全く収集のつかない、混沌とした世界。それは現実世界に対する確かな批評となっている。そして私たちは映画から真なる世界の姿に思いを巡らせる。

ワレルカが大人になるために選んだ選択。それが正しいのか間違っているのかはわからない。けれど、孤独を引き受けて生きていく彼の決意。その想いは今を生きる私に勇気を与える。


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ぼくら、20世紀の子供たち
Nous, les enfants du xxeme siecle
(1993年 フランス・ロシア 84分 SD/MONO ) 2010年7月10日から7月16日まで上映 ■監督・脚本 ヴィターリー・カネフスキー
■脚本 ヴァルヴァラ・クラシルコワ
■音楽 クロード・ヴィラン

■出演 パーヴェル・ナザーロフ/ディナーラ・ドルカーロワ

ストリートキッズたちを同じ目線で捉えた、
57歳の少年によるドキュメンタリー

20世紀から21世紀へ、子供たちの歌は歌い継がれる。歌に託された子供たちの未来。そこにあるカネフスキーが残したメッセージ。

カネフスキーは路上で生活する子供たちにカメラを向け、彼らの生活について尋ねていく。「家族は?」「どうやって稼ぐの?」「好きな歌は?」やがて思わぬ所でワレルカの面影を残した、パーヴェルの姿を捉える。そして少女ディナーラの登場。全く異なる人生を歩み成長した二人の再会。そしてふたりは共に歌い出す。
あの時の歌を…。

この映画はソ連崩壊後、不安定な社会を生きる子供たちを映したドキュメンタリーである。カネフスキーはカメラを通して、ストリートチルドレンや非行少年たちと触れ合う。そして子供たちはカメラの前で自分を語り出す。だが話すのは自らの悪の行いばかり。

本来なら救いのなさが印象に残るはず。しかし子供たちは一様に明るい。見つめ返す、目の美しさ。カネフスキーがカメラで映すことによって、子供たちに承認を与えている。この映画の美しさは、カネフスキーと子供たちがお互いの存在を認め合うところにある。

カネフスキーは子供たちにひたすら歌を歌わせる。歌はひとりの子供の独唱から、いつの間にか子供たちの合唱になる。それは、生命の躍動。そして彼は歌を通して、子供たちの心に許しを与えている。

子供たちの中に自分を探し続けたカネフスキー。彼は映画を創ることで、自らを許すことができたのだろうか?今や行方知れずのカネフスキー。そんな彼にいろいろな想いを巡らせてしまうのは、
私だけではないだろう。

(mako)