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マリファナ、人種問題、ベトナム戦争、カウンターカルチャー、悩める国、“アメリカ”。
アメリカが過渡期を迎えていた1960年代、映画界においても新しい時代が幕を開けた。
アメリカン・ニューシネマ。

アメリカ合衆国で1960年代から70年代にかけてつくられた、
それまでのハリウッド映画とは一線を画す作品群。

アンチヒーロー、アンチハッピーエンドが特徴とも言える、これら一連の作品群は
当時のにおい、社会情勢、若者たちの文化、苦悩、葛藤、自由への疾走(失踪?)を
色濃く映し出してあり、まさに、当時のアメリカのライフスタイルのリアルな縮図である。

ニューシネマというものの、21世紀の今日から見れば、
オールドシネマ、とも言えなくはない。

「アメリカン・ニューシネマ」は、一般的に1967年『俺たちに明日はない』で始まり、
『タクシードライバイー』(1976年)あたりで終わったとされることが多いが、
終焉を迎えた後も、映画制作に与えた影響は計り知れない。
アメリカン・ニューシネマの血は、現在も途絶えることなく受け継がれている。
そういう意味においては、アメリカン・ニューシネマがいつをもって終わりとするかは
誰も正解を持ち得ないところであろう。

アメリカン・ニューシネマを見ずして、現在の映画を語れるか?
その答えは本作を観た人だけが、得られるであろう。
星条旗が凪いでいる。

ファイブ・イージー・ピーセス
FIVE EASY PIECES
(1970年 アメリカ 98分 ビスタ/MONO)

2009年7月18日から7月24日まで上映 ■監督・製作・原作 ボブ・ラフェルソン
■原作・脚本 エイドリアン・ジョイス
■撮影 ラズロ・コヴァックス
■製作総指揮 バート・シュナイダー

■出演 ジャック・ニコルソン/カレン・ブラック/ビリー・グリーン・ブッシュ/ロイス・スミス/ウィリアム・チャーリー/スーザン・アンスパッチ/サリー・ストラザース/リチャード・スタール

■1970年度全米批評家協会賞助演女優賞(ロイス・スミス)/1970年度NY批評家協会賞監督賞、作品賞、助演女優賞(カレン・ブラック)/1970年度ゴールデン・グローブ助演女優賞(カレン・ブラック)

★本編はカラーです。

「いい生活なんて吐き気がするだけだ!」
1970年代アメリカの、苦悩と怒りを見事に描いたアメリカン・ニューシネマの傑作

カリフォルニア南部の石油採掘現場。そこでその日暮しのボビー(ジャック・ニコルソン)が働く。音楽一家で育ったボビーが、なぜ肉体労働に励んでいるのか。クラシックの才能があり、いい生活が約束されていたようなものを、なぜ家を出たのだろうか。

pic何に対しても積極的な姿勢がなく、女といいかげんに遊び、仕事も適当という怠慢な毎日を送っている。レイ(カレン・ブラック)というウェイトレスと同棲しているが、結婚の約束をしているわけでもなく、妊娠が発覚してもそのスタンスは変わらないのであった。好き勝手に振る舞うボビー、そのボビーに首ったけなレイ。不幸な男ボビーに、不幸な女レイ。いったいこの先どうなってしまうのだろうか。

レイはよく泣く。ボビーの表情には始終苦悩のようなものが付きまとう。自由を求めて旅に出るというのとはまた違い、自分の居場所を見つけられないから転々とし、それが結果的に旅となっているのであった。人生という旅の旅人。

「俺は本物を求めて何物かを探しているのではない。俺がいるとそこが悪くなっていく。悪くなるものから逃げ出すだけだ。俺がいなくなると万事うまくいく。」
このセリフに苦悩がにじみ出ている。

「いい生活なんて吐き気がするだけだ。」
ボビーは言う。
「俺には分からない。」

pic病める国“アメリカ”の等身大の青年たち。隣の芝生が青く見えるのはどの時代でも、どこにいてもあることだ。そうして次から次へ居場所を変えて、転々とする。それではいけないと薄々感づいていながらも、不器用さからか本質は変わらず、流浪の旅を送ることになるのだ。

“ファイブ・イージー・ピーセス”(五つの易しい曲)が空しく鳴り響く。音楽の本質は心である。悩み苦しんだ分だけ、素敵な音楽を奏でることができるのではないだろうか。だが、ボビーはいつも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。幸せを呼び込むにはまず、笑顔、苦しい時にこそ笑顔、そう思うところだ。

はたから見れば何不自由ないという暮らしがボビーにとっては不自由極まりない生活であったに違いない。自由への疾走(失踪?)は続く。

『イージー・ライダー』を製作したBBSプロダクションが、再び『イージー・ライダー』のスタッフ・キャストの数人を起用。『イージー・ライダー』で見つめたアメリカ国内の問題点から、アメリカ人個々の“意識”、“体質”に焦点を合わせる。

かつての純朴なフロンティア・スピリット・マン時代の善き日、善き隣人は、ここには登場しない。そして、もはやマリファナすらも取り上げられないのだ。仕事も、家庭も、愛するということからも離反し、全く無目的なヒーローの登場はアメリカ映画の変遷を知る意味で重要な作品である。


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イージー・ライダー
EASY RIDER
(1969年 アメリカ 95分 ビスタ/MONO)

pic 2009年7月18日から7月24日まで上映 ■監督・脚本 デニス・ホッパー
■製作・脚本 ピーター・フォンダ
■脚本 テリー・サザーン
■撮影 ラズロ・コヴァックス
■製作総指揮 バート・シュナイダー

■出演 ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/アントニオ・メンドーサ/ジャック・ニコルソン/カレン・ブラック/ルース・アスキュー/ロバート・ウォーカー・Jr/ルアナ・アンダース/トニー・ベイジル/ホイト・アクストン

■1969年カンヌ国際映画祭新人監督賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞/1969年全米批評家協会賞助演男優賞(ジャック・ニコルソン)、特別賞(デニス・ホッパー)/1969年NY批評家協会賞助演男優賞(ジャック・ニコルソン)

★本編はカラーです。

アメリカの心を、人間の自由を、旅に求めた男
だがどこにもそれは見つけられなかった

メキシコからマリファナを密輸して大金を得たキャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)は大型排気量の特製オートバイを買って旅に出た。大金をバイクのタンクに隠して。

pic2人は時計を捨て、時間に縛られない自由な旅を謳歌するのだった。ステッペンウルフの「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」がゴキゲンに流れ出す。ヒッチハイクをしているヒッピー、ジーザス(アントニオ・メンドーサ)を同乗させた2人はヒッピー村へ行くが、結局拒絶されてしまう。

ラスベガスへ向かうことにした2人は、ここで警察に留置されてしまう。許可なしでパレードに参加という理由だけで。そこで出会ったのが、酔っ払って保護されていた酔いどれ弁護士、ジョージ・ハンソン(ジャック・ニコルソン)だった。 3人になった一行は、マリファナを吸い、旅を続ける。

沿道の村人たちは、彼らを全く受け入れない。何がそうさせるのであろう。自由を謳歌するワイルドな一行に嫉妬し、自分たちと違う存在として嫌ってしまうのだろう。裏返せば憧れているのかもしれない。

picこの作品が誰もの予想を越えてヒットしたのは、病める国“アメリカ”の人々が、「自由」に憧れを抱いていて、そんなライフスタイルを体感したいと思っていたからに他ならないだろう。現代人であり、日本人である私でさえカッコイイと思うのだから。自由とは、人間の永遠の憧れであろう。

「鳥のように自由に」とはよく使われる表現だが、鳥だってそんなに自由じゃないし、鳥には鳥なりの悩みだってあるはずだ。餌の青虫がいない、卵を蛇に飲まれた、など。自由にみえるライダーたちだって悩みは抱えているはずだ。その上で駆け抜ける。なんとも素敵ではないか。

大げさに言うのならば、きっとそういう事なんだろう。

(ラオウ)


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